ひょっとして、時間軸も行き来が自由にできるとするなら、
この花弁がどんな花を形作っていたのかも知ることができる。
でも、知ることが出来ないことで枯れの美を認知できる。
時は常に一方向に流れる。今は常に過去、未来は常に今。
記録された過去も、
実体の確かさを証明することは実のところ難しい。
事実が記録されているという確かさなど何処にもないのである。
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撮影機材:
Panasonic LUMIX S5
LUMIX S 50mm F1.8